なぜ読書感想文があるのか

なぜ、学校の宿題として先生たちが「読書感想文」を出すのかについて考察してみました。

「敵を知り、己(おのれ)を知る」ということわざではないですが、漠然(ばくぜん)と宿題に取り組むより、理由付けをして、納得して取り組んだほうがモチベーションが上がるはずです。
読書感想文の宿題に取り掛かる前に、まずは簡単に目を通してみてはいかがでしょうか。




▼理由を考える、その1

すこし箇条書(かじょうが)きにしてみました。

  ・読書感想文を書くことによって文章力がつく

  ・このことをきっかけに本をたくさん読んでほしい

  ・本を読んでもっとたくさんいろいろな知識をつけてほしい

タテマエとしてはこのようなことじゃないでしょうか。また、他にもホームページで見かけたりするかもしれません。他にも宿題を出す前に「○○というだから...」というのを聞いた人もいるかもしれません。今回はそういう「きれいごと」としての理由ではなくて、学校のいう場で学ぶ中で「どんな理由があるにせよ、やらなきゃいけない」という少しゆがんだ面から話していきたいと思います。




▼理由を考える、その2

学校というのは不思議な空間です。
意味があるのかどうか分からない勉強をして、あまり意味のない行事があり、意味のない友情があり、意味のない先生方がいたりします。教育とは意味のないことに耐える場でもあるのでしょう。そもそも、「社会」とは、よく意味が見えなくなる場所だからです。学校とは意味の見えないことでも意味を見出すところなのです。

学校では読書感想文の他にも、イヤだけど仕方なくやっているものがたくさんあるはずです。
 算数(数学)の宿題や、運動会(体育祭)、文化祭(学芸会)、夏休みのアサガオ観察などなど...

その中から、何か意味を見出せるものは、というと少ないのではないでしょうか。
体育の授業なんて「健康的な体を作る」とかいろいろと理由は思いつきそうなものですが、嫌いな人からしてみれば、そんなの学校の短い授業時間の中で身につくはずがないと思います。
 「運動神経の良い人は、いつも外で遊んでいるから運動神経が良いわけで、学校の授業なんか、誰が運動神経が良いかを見るぐらいのものだ!」と思うわけです。



▼結論として

まあ、学校というのは「実ある教育をする場」というよりも、「意味のないことを我慢(がまん)してやれる力をつける場」であるのかも知れません。

黒板を写すという作業も、やりたくもない行事も、毎週の朝会も、みんな我慢するためにあるのです。

何のために読書感想文があるのか、というのも
結局のところ、「長い本を我慢して読む訓練」、「文章を"うーん"っとうなって書く訓練」なのです。自分にとっては全く無意味でも「みんなと一緒にがんばる訓練」であるのです。

 でも、イヤだイヤだと思っていると、余計イヤになります。そしてそれがやる気がどんどん無くなり、どんどん悪循環に陥(おちい)るわけです。あなたの今の気持ちは十分にわかります。

だから読書感想文に少しでも意味づけをして、このように読書感想文の宿題を、少しでも前向きにしようとしているわけです。意味づけをしたりこのようなサイトで読書感想文について解説するのはあくまで一つの提案にです。 大事なのは、この提案を受けて、皆さん一人一人が意味づけを考えることも、また重要なことなのです。

大変かもしれませんが、ここから一緒に頑張りましょう!

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